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ゲゲゲの演出日記 最終回 「ゲゲゲのあと。」

ゲゲゲの演出日記 最終回「ゲゲゲのあと。」



同志社小劇場10月引退公演『ゲゲゲのげ〜逢魔が時に揺れるブランコ〜』終演いたしました。
ご来場いただいた皆さまありがとうございました。公演が終わった後、演出が色々言うのあまり良くないとは思いつつ、言わなければいけないこと、それだけ喋らせてください。


まず今回の公演、ほんとに大変なものでしたが劇団員一同死ぬ気で練習し、ぶつかり、なんとか上演することができました。
演出としてなにができたかはわかりませんが公演の手伝いをしてくださった皆さんを始め、こんな演出を助けようと支えてくださった三回生の先輩、甘えるぼくを厳しく叱ってくれる同期、素直にまじめに仕事をこなそうとしてくれる一回生、皆さんに感謝です。ありがとうございました。


アンケート、劇団員一同大事に読ませていただいております。さまざまな意見、お褒めの言葉、いつも公演をうつための大事な活力になっています。厳しい意見ももっと良いものにするために参考にさせていただいております。誠にありがとうございます。


さて、最後にこのブログのタイトルに仕込んでおいた仕掛けを公開させてください笑実はこのブログのタイトル第一回から並べていくと言葉が浮かび上がってきます。ゲゲゲの◯◯◯の3個目の◯の文字にご注目ください。

ゲゲゲのけつい
ゲゲゲの負けん気
ゲゲゲのメーター
ゲゲゲのますい
ゲゲゲのあたし
ゲゲゲのさんてんリーダー
ゲゲゲのあぁもう!
ゲゲゲのあと。

並べると「引退しても。」となるんです!
こんなどうでもいいことするためにだいぶ苦労しました。
ですが、こういう仕掛けを楽しんでこそ演劇って楽しいですよね!(無理矢理)
僕の中にも、先輩たちの中にも引退しても、の後につながる言葉は色々ありますが、あえてそれは語らないことにします。強いて言うなら引退しても好き!とでも言っておきます。
先輩方、ほんとに引退お疲れ様でした、そしてありがとうございました。

それではこの辺で!ゲゲゲの演出日記お読み頂きありがとうございました。(和田見)
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ゲゲゲの演出日記 第七回「ゲゲゲのあぁもう!」

ゲゲゲの演出日記 第七回 「ゲゲゲのあぁもう!」



こんにちは、稽古に取り組み始め、そろそろ予約の数が気になるこの時期。宣伝活動の一助になればと始めたこのブログも、最近は好き勝手に書かせてもらって、宣伝の力になれてるのか不安でしょうがありません。というか、宣伝のためというのを忘れていた気さえします、反省。


5週目に入り、そろそろ全員が体力と気力の限界に近づきます。特に今回が初参加の人たちはしんどくなって来ます・・・。でも逆にこれだけ自分の生活を捧げているのだからいい作品にならないと悔しい、なんて思ったりもします!みんなで乗り越えていきましょう!



ただ、5週目になると毎回組織運営の難しさに悩まされます。5週目は時間が空いたら必ず学校のラウンジに来て作業をすることが必要とされます。ただ、ラウンジに来る人があまりいなかったり自宅での作業の方がはかどるなど、例外が出てくるとどこまで許容するのか、に毎回悩まされます。中には部署の進行度合いへの危機感からご飯を食べる時間も惜しんで作業をする人もいますが、正直それはあまりさせたくない・・・。ですが、そう言う人がいなければ公演がうてなくなるところまで追い詰められるのが現状です。単純な能力値だったり、部署内での役割だったり。


どこまで劇団のために時間を作ってくれるか。どこまで強制できるのか、そこが学生劇団の難しいところだな、と思います。
サークルであり、劇団であるからです。結局誰かがやってくれている作業をみんなで出来たらどんだけ楽か、作業のクオリティを下げないまま負担を偏らせないなんてことは不可能なのか。「どうして自分だけこんなに頑張ってるんや・・・」からスタートしてこんなことやめてやる!なんて思った人、特に学生劇団の方には共感してもらえるのではないでしょうか。


でも、こんなに大変だからこそ、続けてる人たちの芝居への愛や、やりたくないって言ってたのにいざ、本番を見るとやりたくてしょうがないあの気持ちみたいなのを感じ、共感しあえる集団なんだろうって思うんです。それをお互いに心の底で感じあっているからこそ劇団なんていうものが成立しているのかもしれないって思います。ぼくも、それで十分なんじゃないかなって思います。今回のタイトルのあぁもう!は自分だけしんどくなった時も出るし、芝居がやりたくなっても出ちゃう、すごく可愛い、いとしい言葉だとおもってます。



今回小道具班のメインで活躍するゆうきさんは個人的にあぁもう!ってなるしんどい状況でも、そこから更に一歩踏み出せるスーパー小道具さんです!今まで作り出した小道具は数知れず、むずかしいことはゆうきさんにお願いしちゃう、みたいな。それでも、そこからこっち側の期待以上のものを持って来てくださる方です。四月公演『少女都市からの呼び声』の際には、コップを割れたかのようにみせるギミックをつくったり!「あぁそれ樹脂でつくってみる」なんて言ったり!樹脂を使いこなす女子大生、音響操作もお手の物、そんなゆうきさんの小道具、今回もめちゃくちゃ無茶振りしてます!笑
お楽しみに!!

ゲゲゲの演出日記 第六回「ゲゲゲの三点リーダー」

ゲゲゲの演出日記 第六回「ゲゲゲの三点リーダー」

調べてみるとほうれん草が枯れたのはぼくのせいじゃなくて気温のせいだ、と気づきました。自意識過剰でしたね。
ここに来て、少しずつだけど、色々演出が変わったり、忙しなくなってきました。常にみんなバタバタ、本番が近づいてるなという風物詩です。


世の中にはさまざまな芸術が溢れてますね。絵画や彫刻、絵を入れてもいいなら漫画や図形とかも含まれて、世界には芸術が溢れてますね。SNSなどを使って漫画や自分の絵を発表したりして、様々な芸術に目を向けなくても、みることができる現代です。そんな中、演劇はとても不便というか、現代に流行るにはお手軽さみたいなものはたりないですよね。宣伝もしづらいし、見てもらうためには時間を指定して、さらにその時間をずっと席に拘束する。もちろん、それだけの価値があるという評価を受けて、チケットが取れない劇団なども多いと思います。そんな中で、学生劇団の団員の端くれのぼくに何ができるのか。演劇の発展とかそういう話じゃなくて、これだけ芸術みたいなものを簡単に楽しめる時代に、ただでさえ手軽さがない演劇を発表する意味ってなんだろう。その上、もうすでに上演されてるものを表現することは世界にとって何の意味があるのだろう。



もちろん演劇は生で見ることにかなりの価値があると思うし(映像でも楽しめるが)、演劇が時代に取り残されてたとしてもこれだけ面白いものがなくなるなんてことはないんじゃないかって思います。ぼくらが演劇をすることで、演劇という文化に触れた人、つまり自分達、が増えているという意味では、もしかしたら良いことなのかもしれない。でも、そういうことじゃなくて。単純に自分たちが演劇をやることが、人の想いを表現することが、何の意味があるのだろう、と。結局嘘と言ってしまえば嘘だし、自分たちが考えた戯曲ではないので、自分たちの感じたことを表現してるわけでもない。


現代は、僕らが生まれた世界は大体のものがある程度の水準まで整備されていて、僕たちがどうにかしなくちゃいけないものって、当たり前だけど、昔に比べてすごく少ないんじゃないでしょうか。もっと発展できるのかもしれないけど別に今のままでも何も困らない時代なのかも。だからこそ、自分の存在意義を見つけづらい時代だと思うんです!発展のために自分が犠牲にならなければ、みたいなことって少なくともぼくが今まで生きてきた中であんまり見たことがないんです。でもきっと、犠牲になる、という存在意義は自分の人生をきっと誇らしいものにしてくれると思うし、ある意味犠牲になると覚悟することはその後の人生を逆に豊かにするのではないかなって思うんです。


そういった、ある種危機感が生み出す存在意義が見つかりにくい時代に生まれ、演劇をしている自分。結局ぼくは存在意義が欲しくて欲しくてたまらないのだろうと思います。誰かに必要とされたり、自分が人生をかけてなにかを成し遂げたりしたい。もしかしたらぼくはそういうことに命を燃やしたかったんだろうか?そういう人生もきっと素晴らしい世界が広がっていたのではないでしょうか。一応書いておくとそういう犠牲になることをぼくは賛美するわけでも貶めるような他意もありません。そこはご了承ください。

さて、今回のタイトルの三点リーダー。・・・・・・。こんなやつ。「行間を読む」なんていうのはその名の通り行と行の間に隠されたものや、三点リーダーの内容を考える事ですね。なんでこれをタイトルに据えたかというとですね、この時代の楽しみ方って、三点リーダーみたいな感じじゃないか、と思うんです。三点リーダーには色々な感情が隠されていて、それが沈黙として表現されていて、客が好きなように解釈できるようになっていて、すごく好きなんです。言葉では表現しきれないものが沈黙ってすごくかっこいい。ボクらの時代は一言では表せないぐらい、いろんなものが生まれる時代なんじゃないかな、まるで三点リーダーのような時代なんじゃないかな、なんて思ってるんです。だからそんな時代こそ、自分の好きなことをある意味自分のエゴで勝手に楽しんでいいのではないでしょうか。発展とか考えずに自分の存在意義を自分がやりたいことをするために、と決めれる時代なのではないでしょうか。そしてそれはきっと芸術の始まり、原点なのでしょう。芸術を始める敷居が低くなった時代。存在意義を自分にだけ求める。それを当たり前にできる人はいるんでしょうが、僕みたいなやつにもそれが出来るようになった時代。



当たり前に自分の存在意義を自分で決めれる人、僕の中では大塚広輝です。あいつは自分のやりたいことがすごくはっきりしてて、常に自分になにがやりたいかを問い、その答えに必ず従う。それは自分のために生き続けられる覚悟があるからなんだろうなぁ、とおもいます。そういうところが人間として見習うべきところだし、この時代にものすごくあってるやつなんじゃないかな。そんなやつが選んだ演劇、そして同志社小劇場。彼の心を掴んだ同志社小劇場のお芝居を是非見に来てください!

同志社小劇場10月引退公演
『ゲゲゲのげ〜逢魔が時に揺れるブランコ〜』
演出:和田見慎太郎

ゲゲゲの演出日記 第五回 「ゲゲゲのあたし」

ゲゲゲの演出日記 第五回「ゲゲゲのあたし」


ほうれん草を愛ですぎたせいで今枯れかけています。
愛が歪んでるのかなって思いました。
和田見です。



この前、今まで一度も上手くいっていなかった場面があったんですが、この前久しぶりに稽古でやってみました。そうしたら、かなり上手くいったんですよね。例えば運動なら上手くいかない動作をひたすら練習することが必要だと思うんですが、演劇では1人でやる場面の方が少ないので、周りと上手く噛み合わないことが上手くいかない原因になることが多いです。なかなか難しいなって思います。


他者との関係を作ろうとするとき、自分はどんな人なのかについて一番考えさせられると思うんです。ただ、僕個人の話をさせてもらえるなら、自分は「男なのか女なのか」「目に見えるのか見えないのか」、ほんとのところは分からない。体は男だけど心が男なのかってのは誰も定義してくれないし、自分が自分だと感じてる僕は僕の目には映らないし、他人からも認識できない。これが、「ほんとうのぼくってなんなの?」っていう時期なのでしょうか?笑
結局、人間性って行動でしかわからないっていう人もいるけどぼくは自分の行動については自分でもなんでこんなことしたんだろうってなることばかりなんですよ。皆さん、そんなことありませんか?自分でもなんであんなことしたのかわからないってこと、自分でもやりたくないけど他人から見てみたらやりたくてやったんだろうってこと。
それが原因で失敗しまくったことあると思います。


小学生だったか、幼稚園だったかよく覚えてないんですが、とりあえず小さい頃。母親が赤のマニキュアをよく塗っていたんですよ。すごい赤。ただ、そんなに綺麗に塗れてたわけじゃなくて、家事や仕事でかるくはげてしまっていました。そのことを写真に撮ったようにおぼえています。僕はそのマニキュアにすごく興味がありました。なんで爪を赤色に塗ってるんだろうって。今は好きです、マニキュア。はい。母親の爪ははげてしまっているのもあって、当時は良さがよくわかりませんでした。でも母親がつけてたのをよくみていたので、興味を持ってたんじゃないかなって今は思います。


ある日、マニキュアを触ってみました。すごく臭かったことを覚えています。けれど、慣れれば触ったことのない物質で、ワクワクしました。それを不意に爪に塗って見たくなりました。塗って綺麗さを確認したいっていうよりは単純に好奇心だったとおもいます、多分。
でも当時はプリキュアのような女の子が好むものを男が見ることは恥ずかしいって感覚が強くて、これを塗ってしまったらダメだって強く思ったんです。だから、最終的に自分でもアホやなって思うんですけど、鏡に塗りました。そして、自分の目に重ねて血が出てる〜みたいな笑


自分がこれをよくおぼえてる理由は、あの時、自分で自分の性別に自信がなくなったからです。冷静に客観的になれば自分は女の子になりたいように見えるな、そう思った瞬間背筋がゾッとしました。自分では好奇心でやったことがもしかしたら母親に勘違いされるかも。というか自分はもしかしたら無意識的に女の子になりたいのかも、とか。あの当時、とっても怖かったんですね。あの時出てきたのは、好奇心なのか好奇心の皮をかぶったあたしだったのか。わからない、でもわからないことを肯定出来るまで成長することが出来たこと、ここまで大きくなったことはなんとなく今、母親に感謝しとこうと思います。あとでラインでも送っときます・・・。



こんなこと言ったら僕嫌われるんじゃないかなっておもうんですけど、あたしね、とか俺はね、っていう一人称から始まる自分話って面白いのと、面白くないのすごく顕著なんじゃね、って偏見持ってるんですよね笑
その面白さって自分の面白さを自分で説明することじゃないですか。だからその人の面白さがもろに現れると思ってて。まぁ僕はなんでも笑っちゃうから自分でもなんやねんって思いつつ、でも自分で喋ったあと、この話に全く面白さを感じない!って思う時もあるんですよね。そういう話をした、特にブログを書いた後などはもう恥ずかしさで寝床からでれなくなります。

今回のブログを一緒に作ってくれてる制作の三回生、美月さんの彼女自身の話、めっちゃ面白いんですよ。もう毎回、僕のツボのど真ん中を貫いてきて困りますね!笑その面白さが演技にも滲み出すぎてて、魅力的ですね〜。だからか、最近もう、美月さんに何をさせたら面白いかなって考えるのとかすごく楽しくて、演出としては動かし甲斐のある役者さんです、ほんと笑スタッフとしても頼りがいがあってありがたい存在です。ぜひ、その滲み出た面白さ見に来てください!

同志社小劇場10月引退公演
『ゲゲゲのげ〜逢魔が時に揺れるブランコ〜』
演出 和田見慎太郎

ゲゲゲの演出日記第四回 「ゲゲゲの麻酔」

ゲゲゲの演出日記 第四回 「ゲゲゲの麻酔」

「ゲゲゲの麻酔」


3周目通しをやってきました!ランタイムは一応今のところ2時間の予定です。観劇の参考にしてください。また大幅に変わるようでしたらお伝えしますね!

先週の土曜日は初めての通し稽古でした。
今週の通し稽古は割と笑っちゃいました。悔しいですね、ほんとはすごくしぶーい顔をして、灰皿のひとつやふたつ投げるつもりだったんですが灰皿持ってなかったんで勘弁してやりました。
でも全然つまんないところや、演出守ってないところとかあったので今週はビシバシ行きます。個人的には4週目が一番ダレちゃうんですよね、台本を手放したことで、どこから手をつければいいかまよっちゃったりが原因だと勝手に思ってます。
まぁやれることからやりましょう。




生きている間に、ていうか僕が知らない間に世界が進みすぎじゃないかなって戸惑うことがあります。
例えば、医療の分野とか、人工知能とかのさまざまなテクノロジーとかがぼくが知らない間にどんどん発展してて素直に凄いって思う反面、聞いてないよーって。同じ世界に生きてるはずなのに僕の生きてた世界の時間を超越してるよーって!そんな技術あって大丈夫なん?とかどんなことできんのかな?ってこっちの考えが熟成される前に出来ちゃってえぇ〜ってなりません?ネットワークとかSNSとかゲームとかの発展も普及も早すぎません?みんな順応すんのすごく早い!


こういうのって僕が自分の世界で目をつぶって寝てるからダメなんですよね。自分の外の世界を広げるために情報を集めてないから。目をつぶって見ないふりしてるから。でもねー、目をつぶって集中してないと自分の世界すら生きるの大変なんですよ・・・。今回のタイトルに入ってる「麻酔」って言うのはこういうことを言いたくて、手術から目が覚めたとき、麻酔で寝てる間のこと何もわからないじゃないですか。あの感覚なんですよね。外の世界の情報を調べることには、なんだか麻酔がかかっていて、眠くてしょうがないって状態で目を開けるような、そんな大変さを感じます。目を無理やり開けるのはしんどい。でも目をつぶったままだと、たまに開けたときの戸惑いがしんどい。



作品づくりに参加してると「あれ、この人こんなに上手かったっけ」とか「この人こんなに引き出しのある演じ方するんや」とかそれまで感じられなかったその人の世界の時間が感じられてとっても焦るときがあります。自分の時間の使い方はこれでいいのかなって。麻酔に負けてないかなって。


でもなんで寝てちゃダメなんだ?って聞かれると何にも言えないし、ダメな理由もないんですよね。結局、麻酔に抗わずただ横でだれかが喋っている内容を時々聞ければいいやって思える、流れに身をまかせる。それは結局一番自由な世界が広がってると思うんです。でもこういう生き方を僕は小さい頃にあきらめました。親もそうですけど、一番は自意識が許してくれなかったから。だからすごく憧れてるんですよね〜、三回生の松原さんがこういう生き方してるから。松原さんはすごく面白い人です。自由な人なのにすごく面倒見がよくて、僕は一番ご飯に連れて行ってもらったり、よく2人で真夜中にケーキ作ったりしてます!あの人は自意識が意外と強いけどそれを自由でねじ伏せるから、そのアンバランスさが演技にも人柄にも出ててすごく面白いです。今回もまっつんさんイズムが全開!ぜひ観に来てください!

同志社小劇場10月引退公演
『ゲゲゲのげ〜逢魔が時に揺れるブランコ〜』
演出 和田見慎太郎
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京都の学生劇団、同志社小劇場のブログです。

同志社小劇場

Author:同志社小劇場
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